ホスビタリティ

ホスピタリテイとは、「思いやり、心道い、親切心、誠実な心、心からのおもてなし」という意味です。サービスの原点となる重要なキーワードといえます。

サービスを提供する側にとっては、お客様の言動などに対して、常に心で受け止め、心から行動に移すことが大切です。

例えぱ、お客さまをレストランでお迎えするときは「いらっしやいませ」と言います。その際、お客さまヘの感謝や歓迎の表現として、「お客様、ようこそ私どものお店にお越しいただきました。われわれはみんなでー生懸命素晴らしいサービスをさせていただきます。どうぞごゆっくり楽しい時間をお過ごしくださいませ」という、自然の気持ちから「いらっしやいませ」と言っているかどうかなのです。

また、コーヒーのサービスにしても、ひとつの作業として、コーヒーカップをテープルの上に置くのではなく、「お客様、ただ今おいしいコーヒーをお持ち致しました。どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ」という気持ちで、コーヒーカップをテーブルの上に置くことが大切なのです。

そこには、お客様に対する言葉や声にも、またコーヒーカップをお出しする手や表情、視線にも、人間としての温かさが感じられ、自然と丁寧なサービスにつながるのです。

さらに、お店を綺麗に掃除することも、おいしい料理を提供することも、すべて同じといえます。

このような心や意識を具体的な行動で表現することが、まさにホスピタリティなのです。

 

日本のお菓子の歴史

古代の日本では果実や木の実などを総称して「くだもの」と呼んでいました。漢字が伝来し「くだもの」に「菓子」あるいは「果子」の字が当てられるようになり、そして、奈良時代から平安時代にかけて中国から穀類を粉にして加工する製法の食品が伝わり、これが唐菓子と呼ぱれるようになったのです。

果実とはまったく異なる加工された食品ではありましたが、嗜好品としては果実同様なものとして「くだもの」と分類されたとも考えられています。

 室町時代から安土桃山時代にかけて茶道の隆盛に伴い、点心としての菓子が求められ始めました。中国では、肉類を用いてつくられている羊羹や饅頭がもたらされましたが、日本では仏教の影響下、肉類ではなく小豆や豆類など植物性の素材に置き換えてつくられるようになりました。これが後に、和菓子の方向性を決定したとも考えられています。

 一方、足利時代末から鎖国令までの間、世界は大航海時代の中にあり、南蛮菓子の輸入時代になっていました。カステラ·ボーロ·金平糖·カルメラなど、日本独自の製法が工夫され、和菓子として発展した菓子もあります。

 茶道とともに発達した点心は京都でさらに発展し、練り羊羹や餅菓子、半生菓子から打物の干菓子まで工芸的趣向をこらしたものになり、京菓子として隆盛を極めます。しかし、江戸時代も後期になると京菓子に対抗して江戸文化により育まれた上菓子が人気になります。また、白砂糖は上菓子のみに用いるといった制限を逆手にとり、駄菓子といわれる黒砂糖を用いた雑菓子類も大きく発展しました。

 明治維新により鎖国令が解かれると、海外からドロップキャンデイ。

チョコレート・ビスケツトなどが輸入されるようになり、日本の菓子は革命ともいえる大転機を迎えることになりました。大航海時代からの経済発展により完成の域に達したフランス菓子などが伝えられるー方で、産業革命により機械化効率化した菓子製造法までー気に伝来し、日本の「洋菓子」として幅広い発展を見ることとなったのです。

 

 

 

 

 

シャンパーニユ地方のシャンパン

最近では特に若い女性を中心に人気を博しよく飲まれるようになってきました。

このシヤンパン(Champagne)、発泡性のワインの総称のように思われがちですが、実はフランスのワイン法によってシヤンパーニユ地方産のスパークリングワインにのみに名乗ることが許されている呼び方です。

シャンパーニユ地方は、フランスのワイン産地としては最北にあり、シャンパンは年間平均気温10度の寒冷地でつくられています。17世紀頃、シャンパーニユ地方にある修道院の酒蔵で、厳しい冬の寒さで発酵の止まったワインが、春になり気温が上がりワインが再発酵し、そのときに生じた炭酸ガスでコルクが飛んだのがシヤンパン誕生のきっかけでした。当時

の酒蔵係が、それをヒントに炭酸ガスを閉じ込めた発泡酒をつくり上げました。その酒蔵係こそ、かの有名なドン・ペリニヨンです。

 シャンパーニュ地方以外にも多くのスパークリングワインがあり、国や地方により名称も製法もそれぞれ異なってきます。シヤンパン以外では、スペインのカヴア(Cava)、イタリアのスプマンテ(Spumante)などがあります。

昨今、イギリスもワイン産地として目立ち始めてきました。その裏には、地球温暖化の影響で、昔は寒くてプドウが育たなかったイギリスでも良質のワインぶどうが育つようになったという現実があります。

その中で、2006年ワイン&スピリツト国際大会では、イギリスのナイテインバーのクラシツク・キユベ1998年が、シャンパンやほかのスパークリングワインを押さえて、熟成スパークリングワインの部門で金賞ベストに選ぱれました。

華やかなイメージで多くの人たちに愛されているスパークリングワインですが、同時に苦労を重ねてつくり上げられたシャンパンや、環境間題から生まれた素晴らしいスパークリングワインの存在があるということを頭におきながら味わっていただきたいものです。

 

ガラスの歴史

紀元前2000年には発達

ガラスは、紀元前4000年よりも前のメソポタミアやエジプトで、すでに使われていたといわれています。紀元前2000年頃には、加工する技術も発達。紀元前1550年には、ガラスの器もつくられたという記録があります。その後、ローマ時代に宙吹きと呼ばれる製造法が発明され、大量に食器や保存器として使われるようになるのです。この当時のものをローマンガラスといいます。

そして良質の材料を集めたヴエネツイアが12世紀頃からー大生産地となり、15世紀には酸化鉛と酸化マンガンを添加することで屈折率の高いクリスタルガラスが発明されました。一般庶民に日用品として普及するのは17世紀後半、イギリスで産業革命が起こり、大量に生産されてからのことでした。

クリスタルガラスが普及するのは19世紀から。それ以前は、クリスタルガラスは王侯貴族のもので、ヴエネチアグラスより透明度が高く丈夫なボヘミアグラスは、18世紀に黄金期を迎えました。その後、19世紀後半からアール・ヌーヴオーやアール·デコの時代を迎え、ガレやラリツクといった作家が活躍するのです。大面積の板ガラスがつくられるようになったのは20世紀に入ってからのことです。

 

テーブルマナーの歴史

ルネッサンス期に発達

テープルマナーは、ルネッサンス期の1533年にイタリアの名家であるメデイチ家のカトリニヌ姫が、後のアンリニ世であるオルレアン公に嫁入りしたときにフランスに持ちこんだといわれています。

フランス宮中の食事の仕方が粗野であったため、カトリーヌ姫に付き添ってきた料理長は、調理技法、フォークやナプキンなどの正しい使い方とともに、「食事作法」を本にして伝えました。これが最初の食事作法の本とされています。

このときにはじめてフランス宮廷にはフオークがもたらされ、以降貴族たちがフォークを使用するようになったといわれています。

日本ヘは、16世紀中頃からポルトガル、スペイン、オラングなどによって西洋料理は伝えられていたといいますが、テープルマナーが伝わるのは明治維新以降のこと。文明開化の鐘が鳴り、日本が急速に洋式化するなかで皇族·貴族たちが西洋文化や料理を堪能し、今に至っています。